Souvenirs de la vie quotidienne
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拝啓 漱石先生

 

人生における喜びの捉え方や、世界の見え方が、他の人のそれとどうやら違うらしいと気付いたのは、幾つの時だったか。

その瞬間から、一人で生きる人生を自覚したように思う。

 

 

私が人生への思いを吐露する時、大体において「病んでいる」と評される。

正常な人間から見たら、どうやら私は常に“病んでいる”らしい。

 

先日も、仕事終わりに一人で海に行き、少し浮かんだ後に、大きな岩の上に寝そべって、空を飛ぶ鳥や、ヘリコプターや、打ち寄せる波を見ていた。

目を閉じたら、背中の下の動くはずのない大きな岩ごと、ゆらゆら揺れている気がした。

海に、あやされているようで、嬉しくて思わず笑ってしまった。

 

こんな一連の事を誰もいない山奥で一人でしているのだから、傍から見たら確かにちょっとおかしい人なのかもしれない。もしくは「寂しい人」だと言われるか。とにかく「危ない女だから近付かないようにしよう」と思われるのは、避けられないだろう。

 

それでも、私が感じる私の世界では、そんなことくらい、病んでもいないし、危なくもないし、寂しくもない。

ただそれを同じように感じられる相手がいないだけ。

その事実だけは、いつも少し寂しい。

 

世界を共有できる相手がいない、というのは寂しいことだ。

それでも、世界とは繋がって生きていける。

 

 

 

毎朝、リコを連れて水源池の除塵機を回しに行く。

スイッチを入れると、大きな音を立てて歯車が回り、滑車を動かし、ベルトコンベアが汲み上げた落ち葉やゴミなんかを運んでいく。

 

恋心にまつわる感情も、こんな風にスイッチ一つで綺麗さっぱり流してしまえたらいいのに、と時々思う。

実際には、何とも名前の付けられない細かな感情や、泥やへどろのようなモヤモヤした汚いものが、次から次に溜まっていって、水を澱ませてしまう。あんなに綺麗に流れていたのに。

 

私は、私の透き通った水を取り戻したくて、無駄な悪足掻きばかりするはめになる。

 

 

恋とは、罪悪だろうか。

 

 

かつて、とても愛した彼は、勇気とユーモアがあって、優しさも厳しさも平等にあり、よく食べ、よく笑う、本当に素敵な人だったけれど、愛することと愛されることにおいて、とても臆病な人だった。

ある一定の距離まで気持ちが近づくと、途端にものすごく冷たくなり、それ以上自分の領域に踏み込ませない、そんな付き合い方を繰り返していた。

 

彼の恐怖はよく分かったし、何よりその向こう側に行きたくて、話をしたり、喧嘩したり、泣いたり、寄り添ったり、色々してみたけれど、結局私たちも別れてしまった。

 

今はまた別の彼女がいるらしい彼は、もう怖がらずに愛情を与えたり、受け取ったり、できるようになったのだろうか。

 

今はまた別の人を好きになった私も、結局のところは臆病な彼と同じで、気持ちを受け取ってはくれないであろう人ばかりを選んで、好きになっている気がする。

 

 

誰とも寄り添わない人生を、寂しいと思えないことこそが寂しいのなら、

どこにもたどりつけない思いを抱えたままで、世界の美しさを見ていたい。

 

どうか、そのことを許してもらえますよう。

 

 

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海よりも深い空の青

 
何かとお世話をすることの多い我が人生。好むと好まざるとに関わらず、頼まれ事も沢山。

 
現在、齢八十九の祖母が自宅に滞在中。10日目になるが、付きっきりの介護はなかなか厳しいものがある。
意識がしゃっきりしている為か、結構ワガママも多いのだが、ふとした所で落ち込んでしまったりもするので、なかなか無碍にも出来ない。
あちこち疾患もあるので、注意しなくてはならないことは多い。特に塩分調整はシビアで一日6g以上を摂ると命に係るという・・・(>_<)当然家族のものとは別に調理。

 
排泄の世話をしたり、入浴介助、歩行補助、物を取る為に呼ばれることもしばしば・・・。

 
これをずっとしている叔母は偉いな〜と、改めて思う。
祖母は「女の子を産んでいて良かった」と言う。何故なら、息子である父や叔父は、祖母の日常に関わることはほとんどノータッチだから。

 
一日中祖母の介護だけをしていればいいというわけにもいかないので、動物たちのお世話や父のご飯、大量の洗濯物、洗い物、もちろん自分の仕事、たまに人に頼まれた仕事・・・結婚もしていないのに、何だか結婚30年目の主婦のような気持ちになる。


 
お世話をすることは嫌いじゃない。人の役に立つことで、自分が少し善い人間になったような気がするのも事実。
でもやっぱり人間だから、時々疲れるし、愚痴も言いたくなる。

 
介護に限ったことではないけれど、何かと頼まれごとの多い私の性格を、「そんな風ではダメだ」と言われることも多い。
「何でもホイホイ引き受けるのが良くない」「優しすぎるのが良くない」「そんなだからいいように使われるんだ」

 
でも時々思うのだ。
「私が引き受けることで、楽をしているのはあなたじゃないの?」と。
どうして手助けしたうえでさらに責められなければいけないんだ。(責めているつもりじゃなく、親切心から言っているのだろうが)

 
簡単に頼みごとをしてくる人に限って、違う場面ではこういう風に私の性格についてあれこれと言ってくる気がする。
私が「こんな自分は心底嫌だから変えたい」と言っているならまだしも、「誰かがやらないといけないことで、誰も出来る人がいなくて困っているなら、せめて少しだけでも手伝ってあげたい」と言っているのに。

 
そのダメ出しに、私の意思は反映されないのか。
進んで手伝うならば、愚痴のひとつも言うなということか。

 
その事実にこそ、愚痴をこぼしたくなるというものだ。

 

 
お世話だらけの日々の中でも、動物たちのお世話だけはひとつも嫌にならないのが救い。

 
リコに夕飯をあげに行くと、彼女はいつも必ず、ご飯を食べる前に私の隣に座って寄り添ってくれる。
前足を座った私の太ももにのせ、体をくっつけてくる。
リコを撫でながらぼんやりするその瞬間が、最近の私の癒しタイムだ。


 
私は、やさしい人間になりたい。
でもだからといってそれは、四六時中“いい人間”であることではないと思う。
愚痴も言うし、毒も吐くし、嫌いなものは嫌いだ。
引き受けた何かを、投げ出したいわけじゃない。ただちょっと疲れた時に、疲れたと口にしたいだけ。

 
どんなに色々やって、もがいていても、社会的な立場のない(独身、出産・育児経験なし、自営業)私の言うことなんて、軽く扱われて終わり、というのがまた、非常に悔しい。

 
いつかまた、旅に出よう。
その日の為に、今はまだ、頑張ろう。
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今もなお、荒野。

 

台風で、一日中外に行けず時間を持て余し、また漫画を読んでしまった。「おひとり様物語」

 

ああ、分かります。分かります。画面の向こうから「またかよ!」ってツッコミが聞こえます。

そうね、私最近その手の話ばっかり読んでる。

 

共感したい。安心したい。

今のままでも、大丈夫なんだって自分に言い聞かせたい。

 

これはね〜、同じように感じる人すっごく少ないかもしれないから、あまり言えなかったことだけど。

 

35歳を超えて「おひとり様」で、やりたい仕事をやっていて、一人の自由さ・身軽さも大好きで、好きなものに囲まれて暮らしてる今の自分に不満があるわけじゃない。

 

恋愛したくないわけじゃないし、結婚は絶対しないって決めてるわけでもない。

まあ、単にモテないので一人でいることが多いですけど。

 

焦っているわけでも、絶望しているわけでも、振り切っているわけでもない。ただ浮遊しているような感じ。

肩肘を張っているつもりも、ないのです。

 

何かとめんどくさいことを突っ込まれた時は、不貞を働いた親のせいにしてみたり、子供を授かれない自分の体のせいにしてみたり、何となく「それらしい」ことを正直に答えたりする。嘘じゃないし、それも一つの真実だと思ってるけど、実は口で言うほどそのことを、重たく抱えているわけでも、ないのです。ごめんなさい。

 

それこそが、私の不安の種なのです。

 

 

私はきっと、周りの人ほどには人間関係に碇をおろせない。

人が好きだし、友人と家族は宝物だと思っているし、困っていたら力になりたい、嬉しいことがあったら一緒に笑いたい、そういう気持ちも全部まったく嘘じゃないけど、たぶん何かが決定的にずれている。

 

“みんな”を等しく愛していると、“誰か”の特別にはなれない。

 

それを体現しているような自分に、時々少し寂しくなるのです。

 

 

私は、二年前に何やかんやあって別れた外人の彼のことをまだ恋愛的に好きなままです。

人によっては「そんな意味のないこと続けて何になるの?」「次に好きな人が出来たら忘れられるから、とりあえずどんどん恋をしてみたら?」と、至極真っ当なアドバイスをくれますが、その言葉にもう〜ん?と思ってしまう自分がいて。

 

人を愛するのは素晴らしいことのはずなのに、それがきちんと“つがえる”相手でなければ、その愛は紛い物にされてしまっている気がする。考えすぎかもしれないし、揚げ足取りかもしれないけど。

 

いっそ同性が好きなのかな?と考えたこともある。

同性に恋愛的な意味で好意を持たれたこともある。

その時は、素直に嬉しかったし、出来得る限りこたえた。

けれど、私の方から同性に恋愛的若しくは性的な感情を抱いたことはなく、むしろ何だろう、母性に近いような気持ちだったと思う。

 

 

自分のことが分からなくて、自分に似たような女の人を描いた漫画や小説を読み漁るけど、大体が、やはり最終的には“愛”に繋がっていて、すごく寂しくなってしまうんだ。

 

その寂しさは「私にはどうして特別な“誰か”がいないんだろう」かもしれないし、「やっぱり“愛”って切ないなぁ」かもしれないけど、たぶん、きっと語る先のない孤独かもしれない。

 

仲間がいない寂しさ。

 

どうしてみんな最終的には“愛”に落ち着いてしまうのか。

それを持っていなくて、なくても何とかなってしまう自分がやはり異端なのか。私こそが「さびしい人間」なのか。

 

 

抱きしめてくれる手や、寄りかかっていい背中が欲しくないわけじゃない。

一生懸命ひたむきに生きる、熱くて小さな手のひらを、傍で見守っていたいと思うこともある。

でもたぶん、なくても何とかなってしまうし、なくても「幸せ」だと思えてしまう。たった一人で生きているわけじゃないのだから、本当の孤独にはならない。

 

それでも、理解し合える仲間がいない寂しさはやってくるんだな。こうして、波のように。

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独 白


ずっと、心でモヤモヤと燻っていることがあった。
自分の中でうまく昇華しようとし、出来たかのように思っていたが、やっぱり駄目だった。
ふとした瞬間に湧き出してきては、何とも言えない、昏い気持ちにさせられた。

なので今日、私は、私の為だけにここに吐き出すことにする。
不快になるかもしれないので、危険だと感じた方は読まない方がベターです。



モヤモヤの根源は、ありていに言えば、信じていた人に裏切られたこと。
私たちは年は15歳ほども離れていたけれど、いい友人関係を築いていた・・・と、思っていた。たぶん、私だけが。

色々なことに一緒にチャレンジし、お互いのプライベートな話をし合い、味方の少ない状況で互いを励まし合った。
私は彼女に対して出来る限りの応援をしたかったし、彼女が本当に幸せだと思える道を進めるように、時には苦言も呈した。
生意気だと思われるだろうが、「表向きはニコニコしているのに、裏で人の悪口を言う人」というのが私達が共通して嫌だなと思う人物像だったので、正直に本音で向き合うことが、彼女に対する敬愛の示し方だと思っていた。

それが全て違ったんだと分かったのは、彼女が私のそばを去っていく前日のことだった。

私の知らない所で、彼女は私にいじめられ、私に追い出されてここを去っていくんだと話していたことを知った。
ひどいことを言われている。夢の邪魔をされている。そんなことを涙ながらに語っていたらしい。

あれ程のショックを感じたのは、どれくらいぶりだろうか。その場には自分の父親もいて、絶対に親の前で泣いたりなんかしたくないのに、自然と涙は出た。号泣しながら、あまりに馬鹿馬鹿しくて笑いが出た。
今までの月日は何だったんだろう。
暇な時は毎日のようにうちに夕食を食べに来て、語ったり、そのままうちに泊まっていくことも少なくなかった、あの日々は何だったんだろう。
彼女が何かあって落ち込むたびに、その場凌ぎの慰めなんか言いたくなくて、メールの返信ひとつ何時間も時間をかけて頭を悩ませていたあの瞬間は、一体本当に何だったんだろう。

全部私の独りよがりと言われれば、それまで。
でも私はせめて、最後に彼女の口からちゃんと聞きたかった。嫌っていたなら嫌っていたで、どうせもうここを離れると会うこともないのだから、しっかり真実を伝えてほしかった。
でも、彼女にはその最後の思いも届くことはなかった。メールの返信は「ごめんね、ありがとう〜」という軽い言葉だけで、私は彼女が私と向き合う気はもうないんだということを知った。

よほど、別れの瞬間に引っ叩いてやろうかと思ったか分からない。
でも出来なかった。悔しさと悲しさと寂しさと色んなものが混ざった涙が出るだけで、それでも最後まで手を振って彼女を見送った。

事情を知る人たちは「偉かったね」と慰めてくれたし、友人たちも「本当に嫌っていたわけじゃなくて、たぶん少し嫉妬していたんじゃないかな」と言ってくれた。
私も、もうそう思うことにして、このことは忘れてしまった方がいいとも思った。

でもずっと、ずっと心に引っかかったままだった。


余りに辛かったので、FBもラインの繋がりも削除したけど、共通の知り合いがいっぱいいるので、彼女の近況は嫌でも耳に入ってくるし、今回の事情を何も知らない人たちが「彼女頑張っているよね」と言うたびに、心に黒いもやがかかっていくのを感じた。
私はどうしてこんなに苦しいのか。一体、どうすればこの闇は晴れるのか。


そしてひとつ気付いた。
私はいい人間であろうとするから、苦しいんだ。と。

あなたが色々やっていて、輝いて見えて嫉妬したんだよ。弱かったんだと思って気にしないことだよ。本心じゃなくて嫉妬だよ。
と、その慰めは有り難かったし、そういう一面ももしかしたらあるのかもしれないな、と思った。
そしてこの事を言いふらすのはフェアじゃないから、胸の内に収めなきゃ、と。

実はこういうことは初めてではない。
彼女とは別に、私の周りでは何か折に触れ、こういう事が起こる。
そしてその度に「みんながあなたみたいに強いわけではない。相手の気持ちも分かる」と、諭された。

弱かったら、裏切っても仕方なくて、強かったら、裏切られても仕方ないのだろうか。

強かろうが、弱かろうが、傷を付けられたら痛いのはみんな同じだ。
でも「強い」と思われていたら、痛くない振りをして、こんなこと何でもないよって顔で流すものなのだろうか。


もちろん、慰めてくれた人たちがそんなつもりで言っていないのは分かっているし、「相手の気持ちも分かる」という言葉の意味も、分かっている。


私は単に、悲しかったんだと思う。

彼女が褒められたり、注目される度に「あの人は本当はこんな人間なんです!」って言いふらしてしまいたくなって、そんな自分がものすごく醜い人間になった気がして、「いい人間」であろうとする自分と、全てをさらけ出して怒鳴りたい自分とがいつもせめぎ合っていた。

弱い人間が仕方ないと許されるならば、私のこの心こそ許されるべきだろうと。

そんなことを繰り返す度に心のもやはどんどん膨らんで、自分でももう何が何だか分からなくなった。


だからもう書く。本当のことを。心の闇を。
たぶんこんなところ見てはいないだろうけど。

私は、あなたを許せない。あなたに二度と会いたくない。
でもたぶん、あなたの不幸を願うことも出来ない。

私が一番悲しかったのはきっと、あなたが私を好きじゃなかったと知ったから。

悔しいし、ムカついてるし、綺麗ごとばっかり言ってんなよ!嘘つき!!って思ってるけど、一緒に過ごしたあの年月、私はあなたを好きだった。

だからどうか私の知らないどこか遠くで幸せになってください。


 
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Thinking of "True Love"


「真実の愛」について考えている。

この一言で「うわーww」と思ったり「何だコイツ危ないわ」と感じた方は、ここで引き返すが吉です。


そう、ここ数日かなり真面目に「真実の愛」というものについて考えている。
それはたぶん、今ハマっている海外ドラマ「Once apon a time」がきっかけだと思うのだけど(苦笑)
我々日本人は、あまり日常会話の中に「愛」だの「真実」だの大仰な(と思われる)言葉は使わないし、使っていると「何だコイツ」と思われる確率が高い。



かつてフランスで、ディナーの雑談の中で普通に「愛とは何か」ということをテーマに議論を交わしたことを思い出す。
その時私は「like a air」空気のようなものだ。と答えた。
当たり前のように私たちの周りを取り巻いているけれど、目に見えないので、あることを意識しない。けれども、いざなくなってしまうと生きていけないものだと。
そういうことを拙い英語で説明した。

ある人は「Magic」魔法だと言い、ある人は単なる「Sex」だと言った。
何が正解とかではなく、自分の思う「愛」とはを、ただ語り合った。それはとても貴重な時間で、それこそが私にとっては「love」だなと思ったりした。



「真実の愛」に話を戻すと、今見ている海外ドラマではよく「真実の愛」というフレーズが出てくる。
どんな魔法よりも強く、どんな呪いも解いてしまうという「真実の愛」。
これを持っている人がどれくらいいるのだろう。

私はこれまで、まともに人と恋愛関係を築けたことがない。たいていが二番手。所謂「都合のいい女」ポジション。
それでも、私自身はその都度、相手のことを全力で好きなので、何の後悔も未練もないのだけれど、「真実の愛」というものが一方通行では成りえないものなのだとしたら、私はまだただの一度もこれを手に入れたことはないのだと思う。(そもそも一人に一度あればいい方なのかもしれないが)

なので、今、とてもいい恋愛している友人や、結婚して家族を得ている人に聞きたい。
それを「真実の愛」と思うのか、どうか。
自分から身を引いてしまえることが、相手の幸せをただ願うことが、ひたすら大事で愛おしいと思うこの気持ちが、一方通行ゆえに真実の愛でないならば、私はこの先の人生もそれを知ることはないのだろうと思う。



愛の形は人それぞれで、他のものに当てはめることは出来ないと分かっていて、あえて聞きたい。
「真実の愛」とは何ですか?あなたはそれを持っていますか?
 
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あわいを生きる
もののけ姫になる夢をみた。

正しくは、“もののけ姫のような何か”になる夢だ。

つい最近、録画していたものを見返したせいか、とても鮮やかで生々しい夢だった。
そういえば、昔からわたしは“ナウシカ”や“もののけ姫”のように、人ならざるモノと共に生きる存在に憧れた。そういう人になりたかった。



しかし実際に今「もののけ姫」の舞台みたいな場所に生きていて思うのは、「アシタカのようになりたい」ということだった。

ヒトならざるモノも、それと共に生きるものも、人も、等しく繋ぐ存在。
私はあの映画のラストシーンが大好きだ。
無理にまとめず、括らず、それぞれがそれぞれの場所で生きていくことを自分で選択する。
ご都合主義でも綺麗事でもなく、とてもリアルな回答じゃないかな。

あの映画の中でアシタカはある種のチートだと思う。
芯のブレのなさ、偏りのなさが、彼の行動の肯定を後押ししている。
だって、許嫁の女の子(カヤ)からもらったお守り(黒曜石の短刀)を他の女の子(サン)にあげても許されるなんてすごいずるい(笑)

それはそうと(笑)、あの映画には“完全なる悪者”がいないところも、とてもいい。
もののけ達やサンから見たら、エボシ様は“敵”で“悪”だけれども、実際はそうではなく、逆もまた然り。
世界は「勧善懲悪」ではなく、見る側によって正義は変わる。
だからこそ、そのどちらかに傾倒するでもなく、また変に拒絶するでもなく、その間に立って自分自身の見たものを、自分の心で考え、行動するアシタカの曇りのなさに、強く惹かれる。

そしてまた、その揺るぎなさゆえにアシタカはどちらにも属せない孤独さもあるのだろうな、と考えたり。
いわば、究極の半端者。もちろん、いい意味で。



・・・なんて、単にオタクの映画語りになってしまったけど(苦笑)、現実に生きているとそうありたいと思う場面が沢山ある。
“〇〇派”なんていう名前に寄り添って生きるのではなく、また無暗に嫌うでもなく、良い所を見定め認めて、互いを繋ぐ生き方をしたい。

小さなコミュニティに生きていると、どこどこの誰々が誰を好きで誰を嫌いかなんて、そんなささいな情報まで逐一入ってくる。
人の感情に飲まれて、ぞっとする時もあるし、そういうものをすべて遮断して生きる方が楽だろうな、と思う時もある。

それでも私は、人と生きたいんだな、と今なら思える。
そして、人の前にひとつのけものであることも、捨てたくない。

どちらも選べないなら、そのあわいを選ぶ。
そこにいる仲間は、決して多くはないけれど、選んだ自分を肯定して生きたい。



それにしても、夢の中のあの感覚は素敵だったな。
大きな足跡に、光脈みたいに光る筋が見えて、それが沢山のコダマになっていった・・・あれは、もののけ姫というより、シシ神様の視点だったのかもしれない。
 
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みちしるべを探して


一昨日、少し気になる夢をみた。
夢の中で私は幾人かの人々と、恩師と思われる人に会いに行く。
夢の中ではありがちなことに、実際は全く知らない人達だが、その恩師なる人物は少し特殊な力の持ち主のようで、人間が持つ本質や、空気感みたいなものを見ることが出来るようだった。

一人、一人、恩師の前で挨拶をしては、自分がどういう人間か、これからどうなっていくのか、という助言のような予言のような言葉を得て、去っていく。ほとんどの人の顏は、晴れやかだ。

私の番がきた。
やせ気味で初老の男が言う。『アンタは、ひとことで言うなら“まとも”だ。まっすぐ。曲がってない。例えば誰かと誰かが争っているとする。アンタは泣きながらどちらも倒し、泣きながら群衆に言うんだ「戦うのは悲しいことです」と』

それのどこがまともなんだ、と思ったが言わなかった。

なおも彼は言う『“まとも”ってのはな・・・』

その言葉の続きを聞くことはなく、私は飼い猫に踏まれて目を覚ました。
聞きたかったような、聞かなくてよかったような、非常に複雑な気持ちだった。



最初に彼が“まとも”だと言った時、私にはそれがひどく“つまらない”と言われているように聞こえた。
たぶんそれは、私自身の持つコンプレックスだ。

昔から「真面目だ」と言われることはよくあった。
小学生くらいならば「いい子ぶりっ子してる」と同級生から敬遠されてしまうような類の、真面目さだ。
自分の中での曲がったことが許せなかった。

例えば、誰かの容姿をみんなでからかったり、無視したりするようなこと。
例えば、馬鹿馬鹿しいと本当は思っていることを、クラスで強い〇〇さん達に知られないようにひた隠しにするようなこと。
例えば、「女だから」という理由だけで理不尽な要求に黙って耐えねばいけないようなこと。
例えば、好きなものを、胸を張って好きだと言えないようなこと。

正義感が強いという評価は、私の中では美徳でも何でもなかった。
そのせいで損をすることもいっぱいあったし、そもそも「いいことをしている」という気持ちはなかった。ただ単に、自分の中で“曲がって”見えるそれらを放っておくのが、気持ち悪かったに過ぎない。

それでもそんな私を「つまんない奴」だと言う同級生たちの気持ちは、皮肉にもよく理解できた。真面目な人間は、つまらないのだ。

私にはいつも、ど真ん中直球ストレートしか、ない。
変化球もカーブもフェイントも、あっと驚く奇策も、何もない。
あるのは見え見えのストレートだけ。
ただ、見え見えのストレートだからこそ、避けにくいことも時にはある。
勝負の舞台に引きずり出せることも、ある。



“まとも”ってのはな・・・

その後彼は何て言いたかったんだろう。
彼には何が、見えていたんだろう。

 
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ガラガラヘビと豪速球


言葉の持つ力というものを信じている。
だからこうしてブログを書いたり、SNSで思いを発信したりしている。

それでも、どれだけ心を尽くして言葉を尽くしても、届かない思いというものもある。
元々は一方通行なものだ。受け手が拾わなければ、それはただ横たわる死体と変わらない。まあ、それと分かっていても結局はきっと言葉を尽くそうとするのだろうけど。


大人になって思うこと。
世の中は“衝突しない為の処世術”で溢れている。
今や大人に限らず、学校の中でもそうなのかもしれない。
波風立てず、ぶつからず、平和が一番。
思ってもいない事を言い、可笑しくもないのに笑ってみる。
そこまで分かりやすくはないにしても、ケンカをするのは面倒だから、当たり障りのない事を言って濁していればいいや。

そんな声なき声がそこらじゅうにいっぱいだ。


もちろん、無暗矢鱈に誰彼構わずケンカしろ、なんてことが言いたいんじゃない。
ただ時々、そういう表皮を剥がしたところにある、血の流れる生身の言葉で会話したいな、と思うのだ。暑苦しい人間なのだ。



昔、まだ中学生の頃、仲のいい友達数人でけっこう山奥に住んでいる男友達の家によく遊びに行っていた。
所謂“腐れ縁の悪友”同士で、しょうもないことを話したり、ゲームしたり、鬼ごっこしたり(※中学生です)わりとそんなのんきな日々が私は好きだったし、一緒に遊ぶ悪友たちのことも大事に思っていた。
そんな中、その家の住人である男友達と些細なことから口論になり、少しだけ険悪な雰囲気になったことがある。
お互い譲れぬ主張があったので、私はそれをとことん話し合う気でいたら、いきなり相手に「ハイハイ、もう分かったからいいじゃん。くそダリィ」と幕を下ろされた。その瞬間、私はそれまでの主張云々を吹っ飛ばして、ぶち切れてしまった。

面倒だからという理由でシャットアウトするその態度に猛烈に腹が立ってしまった。
結果、「何が分かったの?!何がいいの?!ちっともよくない!私はアンタのことを大切に思ってるから何かあったらちゃんととことん話したいと思ってるけど、そっちはそうじゃなかったの?勝手に放り投げられてもちっとも納得できない。アンタが私を大事じゃないならそう言って。それなら納得して黙るよ」というようなことを一気にガーッとまくし立てた。我ながらすごい剣幕だったと思う。
相手は私のあまりの勢いにちょっと押されたみたいだが、ぶつぶつ言いながらも「大事じゃないわけじゃない」と、ちゃんと話してくれた。周りでハラハラ(?)見守ってた他の友人達も、よし、じゃあ気を取り直して遊ぶか!という感じで元に戻り、色々落ち着いた頃に一人ホッとして涙が出た(苦笑)

これで嫌われたらどうしよう、と考えなかったわけではないけど、ちゃんと向き合って話してくれない事の方が私には怖かった。
ただヘラヘラ笑って話を合わせるだけの友達は、友達とは言えないと思ったから。
ちなみにその相手とは今でもしっかり友人関係は続いている。私がアホなことをしていたら叱ってくれるし、お互いのダメな所もうんざりするほど知っている、いい友人だ。



まあ、そんな人間なもので、大体において人と話す時は心から向き合うようにしている(というか、そうなる)。
敵も多いが、一度“身内”になったらよっぽどのことがない限り嫌いにはならない(私が相手を)ので、長〜い付き合いになっていく。
暑苦しい人間なのだ。(二回目)


とは言え、冒頭に書いたようにこちらがどれだけ向き合って話そうと思っても、相手がそれを受け取ろうと思わなければ、のれんに腕押し。暑苦しい思いの塊が死骸と成り果てて落ちるだけである。
そして、そういうことはわりとよくある。

相手は私の言葉に責められていると感じ、私は私で何だかモヤッとしたものを感じ、双方何も得をしないまま、何となく疎遠になる。(稀にそこから復活することもあるが)

まっとうな人生を歩んでいないとよく評される私が、そういう場合にだけは「まっとうで、正論」と評されるのが何ともおかしなものだと思う。
正論は人を救わないことを、今や多くの人が知っているのだから、この場合の“正論”はむしろ“批判”に近いのかもしれない。ま、褒められているわけではないことだけは確かだ。
それにしても、その“正論”の母体は何なのだ?自分か?世間か?はたまた、理想か?
誰に対して、何に対して“正しく”あるべきなのか、ありたいのか。



このパターンに直面する度に、私自身いつも振り返り考えている。
つられて見失うことのないように。
 
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「変わり者」は最高の褒め言葉


2,3日前にふと思いついて、この島で唯一の同級生だった女の子にコンタクトを取ってみた。
お互いに、そこそこ波瀾万丈な人生を歩んで、風のうわさぐらいでしか、現在の彼女を知らなかった。

まるで好きな人に初めてメールを送った後のような、高揚感と後悔とを抱えながらも、案外するりと繋がって、気が付くと二時間くらいずっとやり取りしていた。

今はもう、島に彼女の家はなく、家族も皆それぞれ家庭を持ち本土で暮らしているらしい。

「これからはずっと私がここにいるから、好きな時にいつでも帰っておいでよ」

会話の最後らへん、私がそう言ったら、彼女は本当にほんとうに嬉しそうだった。
自分の育った景色を、息子たちに見せたかった。虫も、鳥も、魚も、きちんと見たことがないから、ありのままのものを見せてあげたい。そう言っていた。

彼女が嬉しそうなことが、私はとても嬉しかった。
そして、私はずっとそう言ってあげたかったんだと気付いた。


『そう願う人が誰でもみんな家族になれるような、あたたかい場所を作りたい』

フランスのエコビレッジを訪れて、自分の中の夢の輪郭を掴んだ時に思ったことだった。

ずっとそこにいなくても構わない。時々ふらりと来て、また旅立っていくのでもいい。
ただ帰りたくなったら、いつでも帰れる場所を守りたいと思った。

それは、私自身がずっと欲しかったものでもあるから。




そんな中、父と話をしていて「ここの人は皆、自分の子供や孫にこんなところに帰って来てほしくないと思っている」という事を聞き、私は心底びっくりした。
それは、そう思う人は皆、ここを好きではないということだ。

その背景には、ここ以外で暮らしたことがない人は、ここの豊かさを感じる尺度を持たないという事がひとつ。
そして、昔からここへ“帰ってくる”人は、人生に傷付き疲れ果て、どうしようもなくなった人しかいなかったという事がひとつある。島へのUターン者は、“落伍者”と見られていたのだ。

その認識は今でも根強く残っているらしく、夢や希望に満ちたUターン者など信じられない人からすれば、私はやはり相当の“変わり者”に映っていることだろう。




『人は物事を自分の見たいようにしか見ない』と言っていたのは、ドラマのリーガル・ハイだったか・・・

以前このブログの「島に暮らすということ」http://eripaca.jugem.jp/?eid=9 でも書いたけれど、これからここで何かを成そうと思うなら、未完成で青臭くてもまずは声を上げて、夢や理想を語ることが大切なんだと思う。
間違ってると言われるかもしれないし、ハナから無理だと決めつけられるかもしれないけれど、それでも、私は“人生を諦めて”ここに来たなんて思って欲しくないし、思われたくない。

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二人の囚人が鉄格子から外を眺めた
ある者は泥を見て
ある者は星を見た

     フレデリック・ラングブリッジ著「不滅の詩」
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どうせなら、星や、虹や、空飛ぶ鳥を見るような人生でありたい。
『生きたいように生きる』というのは、我が侭に生きることなどではなく、自分の人生に責任を持って夢をみることだと私は思う。
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現代魔女入門


物心ついた時から、魔女になりたかった。

繰り返し観たファンタジー映画のせいか、暗記できるほど読んだおとぎ話のせいか、はたまたハマっていたファイナルファンタジー(ゲーム)のせいかは分からない。

とにかく、動物と話し、植物や薬学の知識に長け、森と共に生きる、年齢不詳で正体不明の・・そんな存在になりたかった。

小さな離島の山の中、周りに子供が全然いない環境で育ったせいか、遊び相手はいつも一つ違いの姉と、空想の中にいた。
何でもない木や川に名前を付け、自然を相手に話をしていた。

そんなちょっと頭の弱い子供が、大きくなって文学と出会い、さらに空想の(あるいは妄想の)翼をめきめきと広げ、傍から見るとちょっと痛い夢子ちゃんのまま、30を超えてしまった。
そして、私は今でも魔女になりたいと思っている。


聞く人が聞けば「アイタタ・・・」な台詞だろうが、私は年々その夢を実現する可能性が高いことに気が付いてきた。



そして、先のフランス滞在で、私はその思いを確信へと変えた。
だって、そこには私の思い描く魔女が、ふつうにいたから。

そして、私自身もまたそうであると、教えてもらえたから。




3月下旬のある朝、ただ一度きり見ることが出来た自然が作った芸術。



私が滞在している部屋、



浴室、



そして共同のリビングの窓2つにだけ描かれていた、氷のアート。




わずか数分で溶けて消えてしまったけれど、今まで誰も見たことがなかったというそれは、あの土地の精霊が見せてくれたプレゼントなんじゃないかって思う。

帰国後、悪友にこの話をしたら「よかったな。お前たぶん受け入れられたんだよ」と、そう言ってくれた。
嬉しくて、心がふるえたのを覚えている。



あの場所にいる間、からかい半分で“妖精”と呼ばれていたことを以前にも書いたけれど、こんな風に滞在中に不思議なことは度々起こった。確かにあの場所には、“そういうもの”が今でも息づいているんだということを、肌で感じたし、私にはそれがたまらなく嬉しかった。

毎朝・夕は森に行き、犬やウサギやその辺の木々に話しかけた。
畑に入る時はいつも裸足で、土や草の匂いを嗅ぐと力が湧くのが分かった。
日本語なんて一度も聞いたこともないであろう動物たちに日本語で話しかけても、彼らはきちんと私のあとをついてきた。



日本では、きっと周りの目が気になって出来なかったこと。“イタイ子”って思われるようなこと。
フランスでフランス語も英語もろくに喋れなくて、動物とばかり話してたせいか、元々“ちょっとおかしな日本人”というイメージだろうという気持ちのおかげで、何一つ気負うことなく自然体でいられた。怪我の功名と言うやつかもしれない。




結果、私はとても“魔女らしい”自分の姿を見出した。
ほんとうに、からだの隅々まで自然の一部になって生きる感覚を、ただ生きていることが幸せすぎて笑い泣きしてしまうくらいの間隔を、あの場所のすべてから頂いた気がした。




帰国後、故郷の島へと帰って来た私は、日々立派な魔女になるべく修行中だ。
風をみて、動物と話し、土に触れ、野菜やハーブの効能を試す日々だ。

残念ながら、フランスのあの場所と同じくらい自然と一体になることがまだ出来ていないけれど、いつかきっとこの場所であの感覚をもう一度感じたいと思う。

そして、今はまだ喋れない甥っ子がいつか大きくなって「よりちゃん(姉夫婦からの私の呼び名。甥っ子もきっとこう呼ぶであろう)って一体何者なの?」と聞かれた時、にやりと笑って「魔女」と答えるのが、今の私の密かな目標だ。

 
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