Souvenirs de la vie quotidienne
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あわいを生きる
もののけ姫になる夢をみた。

正しくは、“もののけ姫のような何か”になる夢だ。

つい最近、録画していたものを見返したせいか、とても鮮やかで生々しい夢だった。
そういえば、昔からわたしは“ナウシカ”や“もののけ姫”のように、人ならざるモノと共に生きる存在に憧れた。そういう人になりたかった。



しかし実際に今「もののけ姫」の舞台みたいな場所に生きていて思うのは、「アシタカのようになりたい」ということだった。

ヒトならざるモノも、それと共に生きるものも、人も、等しく繋ぐ存在。
私はあの映画のラストシーンが大好きだ。
無理にまとめず、括らず、それぞれがそれぞれの場所で生きていくことを自分で選択する。
ご都合主義でも綺麗事でもなく、とてもリアルな回答じゃないかな。

あの映画の中でアシタカはある種のチートだと思う。
芯のブレのなさ、偏りのなさが、彼の行動の肯定を後押ししている。
だって、許嫁の女の子(カヤ)からもらったお守り(黒曜石の短刀)を他の女の子(サン)にあげても許されるなんてすごいずるい(笑)

それはそうと(笑)、あの映画には“完全なる悪者”がいないところも、とてもいい。
もののけ達やサンから見たら、エボシ様は“敵”で“悪”だけれども、実際はそうではなく、逆もまた然り。
世界は「勧善懲悪」ではなく、見る側によって正義は変わる。
だからこそ、そのどちらかに傾倒するでもなく、また変に拒絶するでもなく、その間に立って自分自身の見たものを、自分の心で考え、行動するアシタカの曇りのなさに、強く惹かれる。

そしてまた、その揺るぎなさゆえにアシタカはどちらにも属せない孤独さもあるのだろうな、と考えたり。
いわば、究極の半端者。もちろん、いい意味で。



・・・なんて、単にオタクの映画語りになってしまったけど(苦笑)、現実に生きているとそうありたいと思う場面が沢山ある。
“〇〇派”なんていう名前に寄り添って生きるのではなく、また無暗に嫌うでもなく、良い所を見定め認めて、互いを繋ぐ生き方をしたい。

小さなコミュニティに生きていると、どこどこの誰々が誰を好きで誰を嫌いかなんて、そんなささいな情報まで逐一入ってくる。
人の感情に飲まれて、ぞっとする時もあるし、そういうものをすべて遮断して生きる方が楽だろうな、と思う時もある。

それでも私は、人と生きたいんだな、と今なら思える。
そして、人の前にひとつのけものであることも、捨てたくない。

どちらも選べないなら、そのあわいを選ぶ。
そこにいる仲間は、決して多くはないけれど、選んだ自分を肯定して生きたい。



それにしても、夢の中のあの感覚は素敵だったな。
大きな足跡に、光脈みたいに光る筋が見えて、それが沢山のコダマになっていった・・・あれは、もののけ姫というより、シシ神様の視点だったのかもしれない。
 
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