Souvenirs de la vie quotidienne
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今もなお、荒野。

 

台風で、一日中外に行けず時間を持て余し、また漫画を読んでしまった。「おひとり様物語」

 

ああ、分かります。分かります。画面の向こうから「またかよ!」ってツッコミが聞こえます。

そうね、私最近その手の話ばっかり読んでる。

 

共感したい。安心したい。

今のままでも、大丈夫なんだって自分に言い聞かせたい。

 

これはね〜、同じように感じる人すっごく少ないかもしれないから、あまり言えなかったことだけど。

 

35歳を超えて「おひとり様」で、やりたい仕事をやっていて、一人の自由さ・身軽さも大好きで、好きなものに囲まれて暮らしてる今の自分に不満があるわけじゃない。

 

恋愛したくないわけじゃないし、結婚は絶対しないって決めてるわけでもない。

まあ、単にモテないので一人でいることが多いですけど。

 

焦っているわけでも、絶望しているわけでも、振り切っているわけでもない。ただ浮遊しているような感じ。

肩肘を張っているつもりも、ないのです。

 

何かとめんどくさいことを突っ込まれた時は、不貞を働いた親のせいにしてみたり、子供を授かれない自分の体のせいにしてみたり、何となく「それらしい」ことを正直に答えたりする。嘘じゃないし、それも一つの真実だと思ってるけど、実は口で言うほどそのことを、重たく抱えているわけでも、ないのです。ごめんなさい。

 

それこそが、私の不安の種なのです。

 

 

私はきっと、周りの人ほどには人間関係に碇をおろせない。

人が好きだし、友人と家族は宝物だと思っているし、困っていたら力になりたい、嬉しいことがあったら一緒に笑いたい、そういう気持ちも全部まったく嘘じゃないけど、たぶん何かが決定的にずれている。

 

“みんな”を等しく愛していると、“誰か”の特別にはなれない。

 

それを体現しているような自分に、時々少し寂しくなるのです。

 

 

私は、二年前に何やかんやあって別れた外人の彼のことをまだ恋愛的に好きなままです。

人によっては「そんな意味のないこと続けて何になるの?」「次に好きな人が出来たら忘れられるから、とりあえずどんどん恋をしてみたら?」と、至極真っ当なアドバイスをくれますが、その言葉にもう〜ん?と思ってしまう自分がいて。

 

人を愛するのは素晴らしいことのはずなのに、それがきちんと“つがえる”相手でなければ、その愛は紛い物にされてしまっている気がする。考えすぎかもしれないし、揚げ足取りかもしれないけど。

 

いっそ同性が好きなのかな?と考えたこともある。

同性に恋愛的な意味で好意を持たれたこともある。

その時は、素直に嬉しかったし、出来得る限りこたえた。

けれど、私の方から同性に恋愛的若しくは性的な感情を抱いたことはなく、むしろ何だろう、母性に近いような気持ちだったと思う。

 

 

自分のことが分からなくて、自分に似たような女の人を描いた漫画や小説を読み漁るけど、大体が、やはり最終的には“愛”に繋がっていて、すごく寂しくなってしまうんだ。

 

その寂しさは「私にはどうして特別な“誰か”がいないんだろう」かもしれないし、「やっぱり“愛”って切ないなぁ」かもしれないけど、たぶん、きっと語る先のない孤独かもしれない。

 

仲間がいない寂しさ。

 

どうしてみんな最終的には“愛”に落ち着いてしまうのか。

それを持っていなくて、なくても何とかなってしまう自分がやはり異端なのか。私こそが「さびしい人間」なのか。

 

 

抱きしめてくれる手や、寄りかかっていい背中が欲しくないわけじゃない。

一生懸命ひたむきに生きる、熱くて小さな手のひらを、傍で見守っていたいと思うこともある。

でもたぶん、なくても何とかなってしまうし、なくても「幸せ」だと思えてしまう。たった一人で生きているわけじゃないのだから、本当の孤独にはならない。

 

それでも、理解し合える仲間がいない寂しさはやってくるんだな。こうして、波のように。

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