Souvenirs de la vie quotidienne
| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK |
| CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
海よりも深い空の青

 
何かとお世話をすることの多い我が人生。好むと好まざるとに関わらず、頼まれ事も沢山。

 
現在、齢八十九の祖母が自宅に滞在中。10日目になるが、付きっきりの介護はなかなか厳しいものがある。
意識がしゃっきりしている為か、結構ワガママも多いのだが、ふとした所で落ち込んでしまったりもするので、なかなか無碍にも出来ない。
あちこち疾患もあるので、注意しなくてはならないことは多い。特に塩分調整はシビアで一日6g以上を摂ると命に係るという・・・(>_<)当然家族のものとは別に調理。

 
排泄の世話をしたり、入浴介助、歩行補助、物を取る為に呼ばれることもしばしば・・・。

 
これをずっとしている叔母は偉いな〜と、改めて思う。
祖母は「女の子を産んでいて良かった」と言う。何故なら、息子である父や叔父は、祖母の日常に関わることはほとんどノータッチだから。

 
一日中祖母の介護だけをしていればいいというわけにもいかないので、動物たちのお世話や父のご飯、大量の洗濯物、洗い物、もちろん自分の仕事、たまに人に頼まれた仕事・・・結婚もしていないのに、何だか結婚30年目の主婦のような気持ちになる。


 
お世話をすることは嫌いじゃない。人の役に立つことで、自分が少し善い人間になったような気がするのも事実。
でもやっぱり人間だから、時々疲れるし、愚痴も言いたくなる。

 
介護に限ったことではないけれど、何かと頼まれごとの多い私の性格を、「そんな風ではダメだ」と言われることも多い。
「何でもホイホイ引き受けるのが良くない」「優しすぎるのが良くない」「そんなだからいいように使われるんだ」

 
でも時々思うのだ。
「私が引き受けることで、楽をしているのはあなたじゃないの?」と。
どうして手助けしたうえでさらに責められなければいけないんだ。(責めているつもりじゃなく、親切心から言っているのだろうが)

 
簡単に頼みごとをしてくる人に限って、違う場面ではこういう風に私の性格についてあれこれと言ってくる気がする。
私が「こんな自分は心底嫌だから変えたい」と言っているならまだしも、「誰かがやらないといけないことで、誰も出来る人がいなくて困っているなら、せめて少しだけでも手伝ってあげたい」と言っているのに。

 
そのダメ出しに、私の意思は反映されないのか。
進んで手伝うならば、愚痴のひとつも言うなということか。

 
その事実にこそ、愚痴をこぼしたくなるというものだ。

 

 
お世話だらけの日々の中でも、動物たちのお世話だけはひとつも嫌にならないのが救い。

 
リコに夕飯をあげに行くと、彼女はいつも必ず、ご飯を食べる前に私の隣に座って寄り添ってくれる。
前足を座った私の太ももにのせ、体をくっつけてくる。
リコを撫でながらぼんやりするその瞬間が、最近の私の癒しタイムだ。


 
私は、やさしい人間になりたい。
でもだからといってそれは、四六時中“いい人間”であることではないと思う。
愚痴も言うし、毒も吐くし、嫌いなものは嫌いだ。
引き受けた何かを、投げ出したいわけじゃない。ただちょっと疲れた時に、疲れたと口にしたいだけ。

 
どんなに色々やって、もがいていても、社会的な立場のない(独身、出産・育児経験なし、自営業)私の言うことなんて、軽く扱われて終わり、というのがまた、非常に悔しい。

 
いつかまた、旅に出よう。
その日の為に、今はまだ、頑張ろう。
prose comments(0) -
スポンサーサイト
- - -
Comment








<< NEW | TOP | OLD>>